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1「四種の音階」を 一曲ずつ挙げて各音階を弾いてみて感じたこと

まずは民謡音階であるが、一曲として富山県に伝わる民謡の「こきりこ節」を挙げる。弾いてみた感じたことはどこか懐かしく故郷を思わせる曲調で気持ちも落ち着くような感じがする曲でした。そして、次第に気持ちが高揚するような爽快感も持てるような気がした。

次には都節音階であるが、誰でも知っている「さくらさくら」を挙げた。ひいてみると、昔から知っている同様で親しげではあるが、どこかもの悲しげである。さらに歌詞のはなざかりとはうらはらに沈んだ気持ちで終わる感がある。

その次は律音階であるが、それこそ誰もが知っている国家であるところの「君が代」をあげる。どこかしっとりしていて、安定感があり、心が洗われるような気持ちになる。しかし、オリンピックなど金メダルの表彰などのときに国歌が流れるが、凄くやったぜ~などの気持ちの高揚感までは出てこない、どこか沈んだ気持ちになる。

最後には琉球音階であるが、以前に聞いたことがあると思われる沖縄民謡の「ちんぬくじゅうしぃ」を挙げる。どこか体が自然と揺れてきて踊りだしそうな曲調である。今でも沖縄出身のシンガソングライターが歌っている曲調とほぼ同じに聞こえてきてします。しかも、気分がウキウキしてきて明るく元気になっていく感じがする。

この4つを聴き比べてみると音階的に2つのグループに分けられるようなきがする。一つ目のグループは民謡音階の「こきりこ節」と琉球音階の「ちんぬくじゅうしぃ」はどこか音階に不思議な不安定さがあるものの明るい気持ちにしてくれる共通点があるように感じられる。一方、二つ目のグループは都節音階の「さくらさくら」と律音階の「君が代」の音階が心安らぐ気持ちを落ち着かせる点ではおなじような音階を感じる。そして、どこかもの悲しげな部分も共通点として挙げられる。

このようにして四種の音階を聞き分けると、音階の持っている特徴とは本当に不思議で伝統というものは大切にしていかねばと思った。

 

2「四種の音階」を 一曲ずつ挙げて各音階を弾いてみて感じたこと

まずは民謡音階であるが、一曲として富山県に伝わる民謡の「こきりこ節」を挙げる。弾いてみた感じたことはどこか懐かしく故郷を思わせる曲調で気持ちも落ち着くような感じがする曲でした。そして、次第に気持ちが高揚するような爽快感も持てるような気がした。

次には都節音階であるが、誰でも知っている「さくらさくら」を挙げた。ひいてみると、昔から知っている同様で親しげではあるが、どこかもの悲しげである。さらに歌詞のはなざかりとはうらはらに沈んだ気持ちで終わる感がある。

その次は律音階であるが、それこそ誰もが知っている国家であるところの「君が代」をあげる。どこかしっとりしていて、安定感があり、心が洗われるような気持ちになる。しかし、オリンピックなど金メダルの表彰などのときに国歌が流れるが、凄くやったぜ~などの気持ちの高揚感までは出てこない、どこか沈んだ気持ちになる。

最後には琉球音階であるが、以前に聞いたことがあると思われる沖縄民謡の「ちんぬくじゅうしぃ」を挙げる。どこか体が自然と揺れてきて踊りだしそうな曲調である。今でも沖縄出身のシンガソングライターが歌っている曲調とほぼ同じに聞こえてきてします。しかも、気分がウキウキしてきて明るく元気になっていく感じがする。

この4つを聴き比べてみると音階的に2つのグループに分けられるようなきがする。一つ目のグループは民謡音階の「こきりこ節」と琉球音階の「ちんぬくじゅうしぃ」はどこか音階に不思議な不安定さがあるものの明るい気持ちにしてくれる共通点があるように感じられる。一方、二つ目のグループは都節音階の「さくらさくら」と律音階の「君が代」の音階が心安らぐ気持ちを落ち着かせる点ではおなじような音階を感じる。そして、どこかもの悲しげな部分も共通点として挙げられる。

このようにして四種の音階を聞き分けると、音階の持っている特徴とは本当に不思議で伝統というものは大切にしていかねばと思った。

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三味線、太竿・細竿 野澤松也.mov 長唄・清元・義太夫のうたい方 野澤松也 .mov

「日本の音—伝統音楽への入門」

 

興味をもったのは、三味線という楽器がなぜ声や歌の文句をあまり邪魔しなくて伴奏の役目にふさわしい楽器なのであろうかということである。また、三味線には竿の太さや撥の形が違いなぜ流派によって三味線を変える必要があるのだろうか。

この疑問の答えを探るべく動画などを探した結果、野澤松也先生の動画に行き着いた。

まずは長唄と清元は細い棹の三味線と大きくて薄い撥の三味線を使って弾くのである。一方、義太夫は太い棹の三味線と小さくて厚い撥を使って弾くのである。

それを童謡 ちょうちょのうた(蝶々)で違いを実際に歌ってくれた動画である。ちょうちょ ちょうちょ菜の葉にとまれの誰でもが知っている歌での動画で違いが本当にわかりました。目からうろこが落ちる状態である。長唄は歌舞伎舞踊の伴奏音楽として発生し、確かに聞いてみるとこの3つの中では一番軽快に江戸の町民に親しまれたであろう、からっとして曇りのない明るい軽快な声と、細棹と薄い撥が奏でる伴奏が声や歌の文句を邪魔しないことが確認できた。

この長唄を「あ、ちょうちょ」「あ、ちょうちょ」と清元の独特の清元調とも言うべきユーモラスで粋を感じる歌い方にも細棹と薄い撥が奏でる伴奏が声や歌の文句を邪魔しないことが確認できた。

一方、度肝を抜かれた感のある重厚感溢れる男性的な威圧感のある迫りくる義太夫の歌い方には圧倒される。正にこの声と歌い方に太棹と厚い撥での伴奏には納得せざるを得ない一致を感じた。

この違いがわかると、確かに三味線が、劇場、お座敷、一般の家庭、民謡三味線と多方面での活躍ができる楽器というのが実感として広がってきた。

これからは文楽などにも興味があるので、三味線に関わるありとあらゆる日本の良き伝統芸術を堪能できるよう精進を重ねていくと同時に友人知人にも広めていきたいものである。

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現在の日本の音楽状況を鑑み、日本音楽と現代社会についての議論の考察と今日における有効性

 

日本文化の4つの分野である、建築・文学・音楽・演劇について現代社会についての論考が集められ議論されたのは私の生まれた1955年の数年後の社会人になるちょっと手前までの頃の執筆で大変に興味深く読ませていただいた。

確かにその頃は高度経済成長真っ只中でみんな目をギラギラさせて仕事に夢中であったころである。そんな中で印象に残った音楽と他の分野での平行現象での要約――吉川英治氏の棒を一本横に引く書道と邦楽での、初めに必ずといえるくらい小さな装飾音がついてから、真っすぐにのび、声をとめる時にも改めて力を入れながら音を下げる――は伝統文化の並行現象と――ひとり音楽だけが伝統とまったく切り離された形で教育の場で取り扱われ、いきなりなんの社会的・身体的・言語的裏付けもないまま、西洋音楽の成果としての体型が日本の子供達に押しつけられた誤りを反省してみたかった――が現在においても有効なのであろうか。本当に反省されているのであろうか。

私達のころの学校教育はたしかに西洋音楽の押しつけであったのかもしれない。三味線や尺八や箏はおじいさんやおばあさんがやるものみたいな感覚はあったと思う。しかし、いま現在のテレビで人気の高い『プレバト!』の番組は結構おもしろい。 あの日本語を大事にする俳句が夏井いつき先生はキャラもいいし、あの番組で「俳句ってこんなに面白いんだ!」って気づいた人は私だけじゃないはずである。そのほかにも生花、料理の盛り付け、水彩画もある。あとは何と言っても吉川英治氏の書道も人気である。

こうしてみると、日本の伝統文化は確実にいま見直されているのではないかと思う。さて肝心の音楽はどうであろうか。今年の紅白に2年連続で演歌歌手として登場した三山ひろしは私の大好きなけん玉4段でもある若手のホープである。今年の歌は「男の流儀」である。出だしはあの尺八、伴奏は三味線、男の生きるさまを日本の伝統楽器で堂々と歌い上げているのである。

西洋音楽を押しつけられて生きてきた私達の身の回りは、日本文化の書道と音楽が平行現象をみせつけて、小泉文夫氏に微笑みかけているようだ。

 

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日本の音楽にみられるリズムについてl

日本の音楽の中では西洋のような強弱のリズムの基本がなく、拍の性格を決定づけてしまうようなものではない。また強弱の変化においてもリズムの構造を決定づけるものでもなく、むしろ音楽の内容を表現する手段として、リズムの基本構造のもっと上の表現として使われるのである。

日本語のアクセントは高低のアクセント、高い音、低い音というものであるので、英語の場合のアクセントを変えることによって意味を変えられるようなことはなく、強弱により言葉の意味を変えることはできないのである。

お箏、長唄、民謡やわらべうたなどの日本の音楽に使われている拍子は時間的な位置やポジションの関係における性格が明瞭になることが大半である。従って「前」「後」といった表現が適切であろう。

日本音楽のもう一つの特徴としては、1拍が必ずしも同じ長さではなく、場合によって伸縮するということがまま起こるのであり、それが芸術音楽や民謡の中で繰り広げられる。

なお、追分のリズムや無拍のリズムは日本音楽の最大の特徴であろう。

 

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歌謡曲の中でも和製ポップスとか浪曲とか民謡調とかさまざまなある中で、その主流はいわゆる演歌と呼ばれる種類である。この演歌は形式こそ西洋音楽のスタイルに似ており、伴奏楽器にも洋楽器は使っているが、その発声方法、うたいまわし、歌詞の内容、リズム感、そして表情といった面を考えると、全くそれは江戸時代やそれ以前の日本の音楽に直接結びつく庶民の表現そのままである。

日本の和製ポップスというものの旋律やリズムだけを取り上げるとほとんどアメリカのポピュラー音楽と変わらない。

日本の演歌調の歌にすら、シャンソンやロシア民謡やジャズなどの影響が及んでいる。

本当に日本音楽に強い関心を持っている人は器楽演奏に比べて少数であるが、歌、特に浄瑠璃に惹かれている。これは世界各国に言えることである。

「音列支配」の現象が見られる範囲以内で、日本の音階にこの旋法を応用するとなると、第一にオクターブに主音が一つという具合に簡略できないので、音階中の二つの音を主音ないし副主音として指示することで考えなければならない。また、半音を含むものでは応用できないので、極限られた範囲になる。つまり俗にいう無半音の五音階の範囲内だけである。

とすると、伝統音楽ではないが、明治以降の音楽教育や流行歌(特に「演歌」)の中で用いられるドレミソラの音階もこの仲間に入れる必要がある。

譜21に示したこの音階は、長音階の第四度と第七度が欠けているのでヒフミヨイムナのヨとナを抜いたものという意味で「ヨナ抜き音階」と呼ばれている。

ヨナ抜き音階が主流である。「北国の春」、「夢追い酒」や、21世紀になってから登場した氷川きよしの「 箱根 八 里 の 半次郎 」、「星空の秋子」まで、ヨナ抜き長音階のものも多い。また、「リンゴ追分」、「りんとう峠」、「達者でナ」、「津軽平野」などの民謡調演歌には、ニロ抜き短音階のものがある。

 

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日本の正月は「田植え踊り」など民俗芸能としての価値は優れている。「生きているよろこび」というものが味わえ、しかも郷土芸能としてのわらべうたなどは一つの歌が百も違ったヴァラエティを持っている。

次には世界的に日本の歌を紹介する上では雅楽は最もお薦めできるものであり、楽人たちが儀式において演奏したりする他に、外人には器楽を中心としたもののほうがわかりやすいことが挙げられる。また、この音楽的な特徴や理論の影響は三味線や箏曲の地唄と箏曲というジャンルの上に強い影響を与えている。

一方で仏教音楽は「声明」と「御詠歌」が有名であるが、日本語訳の文句でできている「和讃」の音楽があり、密教文化として唐から日本へ伝わってきたものである。

今日の仏教音楽としての意義は琵琶楽であろう。4つの流派の中でも薩摩琵琶と筑前琵琶は有名である。ここで興味深いのは日本で使われている琵琶と、ヨーロッパのマンドリンやギターといった物が同じ括りのようなものであり、近親的な関係にあるのである。

能の音楽的特徴は音階が三種類あり、「弱吟」「強吟」、「語り」となっている。

楽器についてはまず尺八については琴古流と都山流が有名でその他には追分尺八や民謡尺八などがある。箏の起源しては、琴、瑟、箏などの種類とか経過をへて、日本の箏として盲人社会にも育まれ、「筑紫箏」の雅楽で発達し、三曲合奏の母体にもつながってきた。

さて、三味線といえばいまでは日本に一番遅れて入ってきたものが琵琶のバチを使うなどの改良を経て日本の伝統楽器として不動の地位を築いてきた。使われ方も、歌舞伎などの劇場、職業音楽家使用でのお座敷、長唄などの一般家庭、地方における民謡三味線してである。

それに語り物の音楽としては、義太夫、常磐津などがあり、特に「浄瑠璃」という語り物が日本ほど世界で発達しているところはなく、また、伴奏としての三味線は声や歌の文句をあまり邪魔にせず、リズム楽器としての太鼓のような機能も果たしているすぐれものである。

 

8アジアの伝統音楽(国、音楽ジャンル、曲名)を紹介し、日本の伝統音楽との比較

インド人の友人がおり、雅楽が伝わってきた右舞や左舞を飛び越えてインドとの雅楽の相違点について探ってみようと思う。もともと仏教伝来もインドからであり、ひょっとしたらインドとも共通点が多いのではなかろうかと考えた次第である。
インドと言えば、Rajasthani folk musicラージャスターン民謡、Hindi classical musicヒンディー語のクラシック音楽、Sufi musicスフィー音楽、”bhangra””バングラ”、”lavani” of maharashtra, indiaマハラシュトラ州の “lavani”、”thumri” it’s a semi – folk music of indiaインド”thumri”それはインドの半民俗音楽など多様にあるのであろう。
ここでは、インドの “Raga”と日本の 「雅楽」について見ていこうと思う。それというのも、テキストにある「敦煌壁画にみられる古代中国の雅楽」の人物はどうみてもインド人に見えたのである。
インドの多くの楽器のうち、そのうちの1つが「バズリ」として使用されている。 それは竹のフルートで、雅楽で、メロディーがある場合には竹笛でが演奏される。インドの “Raga”や “Raag”の研究は、インドの伝統の大部分を占める非常に儀式的で精神的なものである。雅楽音楽は日本の宮廷で演奏された皇帝の音楽である。 このマグショットをしたミュージシャンは高い威信を持っていた。そして、この音楽はさまざまな氏族や仏教の寺院によって保存されていたのである。両方の国で音楽が演奏される形でも類似点がある。
一見まったく異なっているようにも感じるが、実際はいろいろな点で共通点がある。主なメロディック・インストゥルメントは常に導入のリズミックなフリーセクションに入っている。 各楽器の入口は、両方の音楽形式で新しいセクションの開始を知らせる。
ここに、主な類似点について以下に述べる。

1)両方の曲はメロディック楽器は竹である
2)ともに小さな室内楽アンサンブルである
3)メインメロディック楽器の装飾がたくさんある
4)各ジャンルにメーターを保つためのドラムが1つある。
インドのラガの「バヤン」と雅楽の「しこ」
5)両方とも、次のセクションで曲の進行を示すために楽器が追加されている。

インド人も日本の雅楽の知識は豊富である。日本においては、雅楽の持っている音楽的な特徴や理論の影響が箏曲や三味線音楽の地唄と箏曲というジャンルの上に大きく働いているのが、インドの “Raga”がその後のインドの音楽への影響性についてはほとんどわからないので、今後の課題としたい。