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過日、岩田一平氏(歴史作家)の講演を聞いた。この講演は、NPO法人三内丸山縄文発信の会第120回、縄文塾(仙台支部第15回)主催にて、東北電力グリーンプラザの場所で行われたものである。また、以下の記載は講演内容と岩田一平氏の1992年9月5日朝日新聞出版の『縄文人は飲んべえだった』を参照し、講演のメモ書きや本の内容をまとめたものが混在してしまうが、忘れないうちに投稿させていただく。それゆえ、間違ったいる記述もあるかもしれないが、その時はご指摘をどしどしいただきたく、お願いしたい。

日本民族のルーツはバイカル湖の近くで、中国北部が酒の飲めないDNA のルーツだそうである。それゆえ、1割飲めない人(下戸)、3割があまり飲めない人、6割が上戸。モンゴロイドは寒冷地適応型で新しい弥生顔。古いタイプのモンゴロイドは酒が飲めるという。
縄文明水というお酒が今はつくられているが、それはそれとして、当時の縄文時代は蝦夷ニワトコの接骨木を乾かしてから煮詰めたものが三内丸山遺跡からは大量に発見された。その内容などは、たしか東京大学の辻誠一郎先生が15~16年前に論文を発表してあるという。また、その他の材料としてはキューイの親戚であるサルナシは自然発酵されるし、山ブドウはスッコッチの薄い感じの味なのだと。
その他の酒をつくっていた根拠に近いものとして考えられるのが、円筒式土器であるところの有孔鍔付土器は亀ヶ岡式土器などで、徳利に似ている。このようなお酒をなぜに縄文時は飲んでいたのだろうかと考えてみると、B.C3,860年十和田湖大爆発が起こり、トランス状態(催眠状態根などの場合に見られる、常態とは異なる精神状態)にあったことが考えられるというのだ。ムック「歴史REAL古事記」(洋泉社)やまちのおろちなどでもお酒を飲んだ話は出てくるが、ところで、お酒の度数は非常に低いものではある。それを克服する術としてはやしおりの酒である。何回も醸造し、8回繰り返すと濃度が高くなるのだそうだ。また、日本書紀でも果実酒が載っており、大塚先生によると、どんぐり(デンプン豊富)酒も作られていたという。
一方で、長野県の縄文時代の井戸尻遺跡からは底にヤマブドウの種がくっついた土器が発見された。有孔鍔付土器といわれるもので、土器の首に鍔のような庇がついていて、そこに孔があおいている。このなかの土器にヤマブドウを仕込んで果実酒をつくったといわれている。(加藤百一著『日本酒5000年』技報堂出版)。そのほかには、木の実やイモ類、雑穀を口で噛み、容器の中に吐いて溜める「口噛み酒」もつくられていたただろうというのだ。
ところで、日本国内での酒の強さは地域のより異なるのだそうで。国内の県別の一人当たりアルコール消費量は、東北や南西九州、北海道などが多く、近畿、瀬戸内、中部、北陸、関東地方(東京を除く)で少ない傾向があるという。特に多い宮城県と、逆に少ない岐阜県人を調べたら、下戸率宮城25%に対して、岐阜は52%だったという。各県別のアルコール消費量と下戸の出現率は反比例するらしい。

話しは戻って、上述の口噛み酒について説明させていただく。口噛み酒は、原料に含まれるでんぷんが唾液中の糖化酵素で糖化され、さらに空中に漂っている自然の酵母がそこに働いて糖を発酵させてアルコールをつくる。また、陸稲は縄文晩期から西日本で栽培され、これからコメを原料にした酒をつくった可能性もあるが、コメ麹を使った本格的な酒づくりを始めたのは、辻先生もおっしゃっている通り、日本に渡ってきた下戸の多い弥生人のほうだった。『日本書紀』などには、「田の稲を以て天舐酒(あまのたむけざけ)を噛みて嘗(にいなえ)す」。この嘗は、新穀を神さまにお供えする意。という記述があるが、農学博士で酒造史家の加藤百一さんは、「『古事記』や『日本書紀』、『万葉集』には、酒をつくることをカムとかカミといい、『醸』の字を当てている。カムを『噛む』と誤解して、この酒は口噛み酒だと思っている人がいるが、語源的にも、カム、カミは黴(かび)につながることば。当時からコメ麹を利用した酒がつくられていたんです」と指摘する。