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写真は23日の縄文土器作りの完成3時間前の作品(ひも飾りつけ前)、自分のテーマとして掲げた『恐竜から縄文の時代へ そして、未来へ』である。そして、昨日の26日に三内丸山縄文発信の会主催の縄文塾があり、テーマ:縄文文化と弥生文化、なぜ・どのように違うのか?を講師:辻誠一郎(東京大学教授)の2時間に及ぶ講義を仙台で受けた。この内容にはびっくりすることばかり。すばらしい内容に、本当に参加してよかった!

先ずは縄文時代の紀元前5,900年、十和田湖の大噴火が起ったそうな!そういえば以前の投稿で 十和田湖の大噴火 ” 京都の太陽が おぼろ月に! こんな恐ろしいことがかつて起きた 事実とは!? ”で紹介したのは915年。そのはるか前の7,000年前の出来事である。そして、この大噴火の後、三内丸山等の大集落等で飛躍的に縄文人の数が増えたのだそうである。理由は?、わからないそうである。そして、栗林が急に増え、円筒土器の比率も増したという。すべては環境の変化により、縄文人の暮らしも変化したのだという。晩期に向かっての寒冷期にはトチノキが増えていき、それと共に今度は大木式土器が増えていった。これらは、縄文人が環境に対応して、常に変化、変化し続けて来たのであった。なぜ、土器の種類がいっぱいあるのか?この答えが見つかったような気がする。また、縄文人の面白いのは、毒のあるトチノキやウルシなど、身の回りに置くことで、自分たちを守る役目を持たせていたのだという。ウルシ畑などは特徴的である。

一方の弥生文化。弥生の特徴を、結論からいこう!⓵水田・畑、⓶青銅器、⓷こうじ菌(並行複発酵)⓸建築。気候の環境変化と相まって、朝鮮から弥生人が米文化を持ち込んだ。この水田は皆さんも異論はないはず、それは、お金に結び付くお米が権力闘争を引き起こし、戦争の時代への突入のトリガーをひいてしまった。青銅器はどうであろうか?これが面白いことに、建築と深く結びついているのだ。杉などの針葉樹林の年輪を思い描いてほしい、この年輪から針葉樹は堅いのである。それゆえ、金属でないと木を切れない。そこで、建築が発達し木材の伐採も進んでしまったのだ。弥生の発明はなんと”国菌”といってよい麹菌なのだそうである。日本酒の醸造に大きく関わる「酵母と麹」。これを同時に入れて日本酒作りを行うため、並行複発酵と呼ぶのだそうである。集落の特徴的なところは、青谷上寺地遺跡(鳥取県)という弥生時代の遺跡の集落生態系を復元したものの紹介であった。細い水道によって外海と内海が繋がっていて、津波が来てもほとんど中に入ってこない。集落と海は水道によって繋がっており、そこを船が航行して一番奥に形成されている港に行けるようになっていた。朝鮮、中国などとも交易があったのであろう。

今の日本人はやはり、日本人でなければ感じられないものが多い。庭園づくり、盆栽づくり、縄文土器つくりもそうかな。要は縄文人が林を長年かけて作ったりしていたのに対して、弥生人が米作りという1年サイクルの合理的な生き方を取り入れた。しかし、現代の閉塞感を取り除くにはこの日本人が持ち続けているといってもよい、縄文人の感性を活かした生活を目指すことであろう。

そうそう、私の写真の3作目の土器が完成したら、また紹介しますね!