皆さんは 915年の十和田湖 の 大噴火

をご存じだろうか?

宮城県大崎市は遺跡の宝庫である。
震災前は新田柵などで話題に事欠かなかった。

そんな遺跡の発掘でいつも話題になっていたのが10㎝位の
火山灰の層があるが、これはいったいどこからやってきたのだろうか?

それが、ほぼ断定できたのである。
915年 十和田湖 の 大噴火であったのである。
なんということか!
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おいでやす?の京都の人々は 突然、朝日に輝きがなくなる、
まるでお月様のような朝日に,不思議に思ったそうである。
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どうして宮城に10㎝もの火山灰の層が?
なぜ十和田湖から来たのか?なぜ京都の太陽を月に
変えてしまったのか?

中緯度地方の降下火山灰は上空の偏西風に流されて
噴火口の東に分布することが普通である。

しかし十和田湖のこの火山灰は南に分布している。
この分布異常は,上空の西風が弱まる夏期に
噴火が起こったと考えると説明しやすいというのだ。

シナリオとしては三陸沖を台風が北上中であった場合が考えられる。
史実の記述の晩夏の時期を十和田湖の噴火とみる考えと矛盾しないというのだ。

更に京都は十和田湖から800kmはなれている。
火山灰を運ぶ上空の風の速さは,ジェット気流で100km/時程度であり,
北風の場合はもっと遅いから,
京都から見た日の出の陽光に異常をもたらしたのは,
915年8月17日に噴火のクライマックスが起こっていただろうとの説である。

あの有名なポンペイの紀元後79年8月24日に発生したヴェスヴィオ火山
による市民の死亡は約2000人と考えられている。

一方、十和田湖の大噴火は火口から20km以内のすべてを破壊しつくした
というのだから、ポンペイの比ではない位の死者だったのだろう?

年を重ねるにつれて物事を100年単位で考える事が多くなってきたように思う。
十和田湖の大噴火も最近起きたような不思議な感覚になっている自分に
驚かされる。

しかし、そう思っていたのはやはり東日本大震災前の話であった。

そして、2回目の余震(宮城県沖でここでの被害は同じ規模)が起こって1000年単位で物事を考えなくちゃいけないと考えるようになった。

更にその後は万年単位で考えなくちゃいけないと考えるようになったかも・・・・・。

震災後、床屋さんにいったのである。そこで、話は万年の話に及んだ。

3.11の地震で日本はハワイの方に進んだ、しかし、ハワイは日本に近づいている。

実はハワイは3個ぐらい昔のハワイが日本側に沈んでいるのだそうである。

富士山の秀麗な姿も良く見ると、確か東海道本線を東京から名古屋に掛けて進むと右側?の一角に突き出ているところがある。

富士山も3回の爆発を繰り返している。1番目の山は飲み込まれ、二番目が噴火し、今の形は3回目の爆発らしい。2回目の名残を今もなお、忘れないでほうしいかの如く。

津波は今、国際語らしいが、伊達政宗公の時代に大津波
が起こり、松島を襲ったらしい。諸説はあろうが、その時、
津波と呼んだそうである。

いかにも、鶴は千年、亀は万年である。